「追放されるたびにスキルを手に入れた俺が、100の異世界で2週目無双」って漫画を読んだんですけど、これがなかなか面白かったんですよ。
勇者パーティから追放されるっていうよくある追放モノかと思ったら、そうなったのは主人公が自らそうなるように仕向けたからっていう展開で、しかもそんな意味の分からないことをしたのは顔も見えない神様から強制されたからっていう納得できる背景が描かれてるんですよね。
それに主人公含め他のキャラ達も自分の誤りを認めて頭を下げられる人たちばっかりだし、何だったら主人公自身も自分を追放した相手のことをぜんぜん悪く言ったりしないので好印象でした。
いちおうその作品のあらすじを簡単にまとめると(ネタバレ注意!)
100の異世界で勇者パーティーに入り、そのたびに追放されろ、と神さまから指示を受ける(意味不明だがそうしないと家に帰れないので従わざるを得ない)
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指示通りにひとつひとつの指示をやり通して、そのたびに強力なスキル(能力)を手に入れつつ、100個目の異世界を攻略
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ようやく帰れると思いきや「最後に一つだけ、かつて攻略した異世界の様子を見て戻ってこい」と言われる
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一番最初に攻略した異世界を選ぶ(当時は強力なスキルもまだ持ってなくて、何も分からない一回目だったからかなりみじめな攻略だったという背景が描かれる)
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かつて自分を追放した勇者たちが世界に平和をもたらしているかと思いきや、すでに死亡していることが判明
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唯一生き残っていたエルフのヒロイン「ティア」のもとに行くと、そこでことのあらましを説明される
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さらに、そのヒロインの寿命がもういくばくも残っていないことが判明
主人公、「かつての弱い自分とは違う」とヒロインを魔物から守るが、ヒロインはすぐに死亡
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そして、異世界制覇の最後の報酬としてもらった、「なんでも願いをかなえる力(一度きり)」を使って、すべてをやりなおす
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その後、未来の記憶を持った状態で一回目の世界に向かい、ヒロインと勇者たちを救う、というお話。
で、この作品読み進めてて、なろう系含め娯楽作品には以下のルールがあるんじゃないかって思ったんですよね。
1,主人公が自分の努力で得た力で戦っている
2,試練を突破したらかならず報酬がもらえる
3、登場キャラたちがみんな、自分以外の人物に対してちゃんと人間としての敬意を払っている
4,登場キャラ全員が合理的な行動をとっている
この四つの基本ルールのうえで、ストーリーを進めていく一種のスポーツなんじゃないかと最近考えるようになりました。
これが満たされてないと評価されない……というよりはそもそも土俵に上がれない的な?
他の人物に対して敬意を払っていない主人公は総じて反感買いやすいでしょうし、合理的な行動がとれないキャラクターたちが多かったらたぶん読み進めるのを苦痛に感じやすいじゃないですか。
だから、まずはこの4つが物語を作るうえでの大前提のルールである、とそんな風に思いました。なろう系に限らず、他の娯楽作品全般でも。
(もしかしたらもっと基本ルールあるかもしれないですけど)
で、なんでこれをわざわざブログで書いてるかっていうと、僕この基本ルールをけっこう軽視して創作してた気がしたからなんですよ。
今まで僕が書いたやつ(もしくは書いてるやつ)って「誰もがみんな合理的な行動・最適な行動を常にとれるわけじゃない」とか、「自分一人の力だけで生きていけるわけじゃない」「常に期待通りの成果が得られるとは限らない」みたいな価値観が根っこにあって、ちゃんと主人公が自分の努力だけで得た力で戦うみたいな展開あんまり書かなかったんです。
それよりはむしろ大切な仲間から預けてもらった、教えてもらった能力で戦うというストーリーライン採用しがちで、それがウケが良くなかったんじゃないかって思いましたね。実際ネットに上げてもあんまり読まれなかったし。
なので、次新しいの書くときはもっとわかりやすく「努力と報酬は相関する」法則のある世界を書こうかなと思います。
(でもそれより先に今書いてるやつを完結させないと新作書く余裕ができない……執筆速度上げたい……)